憑依 ~2018年8月稽古テーマ
書法道場の稽古には、「臨書」の時間があります。
ただ手本を真似て書くだけですから、
一般の人からすれば単純作業で、
スグに飽きてしまうのでは…と思われるでしょう。
しかし、生徒の皆さんは、時が過ぎるのを忘れるほど、
夢中になって臨書をされています。
「そろそろ最後の1枚に…」と言うと、
「まだ書きたい~」との、(無言の)プレッシャーを感じるほどです。
ただ手本を真似るだけなのに、
なぜ、夢中になってしまうのでしょう。
臨書は、「論語」に言う
「君子の六芸」(礼、楽、射、御、書、数)に含まれます。
本当の臨書は、礼楽(儀式音楽)や射御(武芸)、
数(数学)と同様、「非日常的な出会い」を得るための技術です。
例えば、九成宮醴泉銘(632年)の筆遣い(身体感覚)を臨書していると、
時折、欧陽詢が降りてくるような、
「この世」にいながら、
「この世ならざるもの」が「みえる」ような感覚になります。
日常に存在するものと関わるだけでは、
日常における問題の本質は、見えてはきません。
地図の外にいるからこそ、地図がみえるのです。
非日常的な「この世ならざるもの」との関わるからこそ、
ものの見方が磨かれ、日常がより豊かになっていくのです。
臨書に夢中の生徒さんは、
筆蝕の真似(憑依)により、
日常のあり方が変わる可能性を、
無自覚ながら、感じているのではないでしょうか。
書法道場師範 武田双鳳
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