「真人」 ~9月の稽古テーマ

弓を使わず弓で射る―。信じられないですが、弓の達人は、そんなことができたそう。書の達人ならば、筆を使わずに筆で書ける…とでも言うのでしょうか。


いつかは達人のように…と稽古をしますが、いまだに、その可能性すら全く感じません。達人を目指しすぎると、その遠さのあまり、ふてくされ、さぼりたくなってしまいます。


そうなると、ますます「達人」から離れそうなので、最近出会った「真人」を目指してみるとします。


中国の古典にも登場する「真人」。「いつでもなれる・誰でもなれる」という点で、「達人」とは異なるよう。先日、入会したばかりの5歳の生徒さんが、突如「真人」となり、流麗な書きぶりを発揮しました。


「真人」とは、何にもとらわれず、自分らしく生きる真の自由な人間。なんだか、悟りの境地のようで、難しそうにも思われますが、例えば、熱々のものに触れて「あちっ」と反射的に手を放すとき、その動作には全く無駄がありませんから、その瞬間は「真人」なのでしょう。


いまこのまま、ありのままで。いつでも、誰でもなれる。「書」が、気まぐれに引き合わせる自分の中の「真人」との出会い。それが楽しみで仕方がないから、今日も書くのをやめられません。

書法家・武田双鳳

書を通じて人生を豊かにする場所をつくっています。

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